シンエヴァ、マリの「長い髪」から読み解くキャラクター像。イスカリオテのマリアとは?

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シンエヴァンゲリオンの中で、マリがアスカの「長い髪」について、意味深な発言をしています。

僕はこの「長い髪」に、深いメッセージがこめられていると思いました。

ミサトさん、アスカ、レイ、そしてマリ……彼女たちの「長い髪」にどんな意味があるのか?

また、マリ=「イスカリオテのマリア」の元ネタと思われる、「マグダラのマリア」にもこの「長い髪」が関係します。

「長い髪」というひとつのモチーフから、髪をほどくようにするすると、シンエヴァの秘密を解き明かしてみせましょう。

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マリの意味深なセリフ、「長い髪」=自己矛盾、人間らしさ

ヴィレの戦艦内で、マリがアスカの長い髪を整えてあげているシーンがあります。

「髪だけ伸びるのが嫌だ」というアスカ。(シンエヴァのアスカは体が使徒化していて、成長しない。人間でなくなっている自分に悩んでいます)

そんなアスカに、マリは「髪は『カオス』、人間の混沌や矛盾の象徴。姫が人間である証拠だよ」と言うのです。

つまり、「矛盾=人間らしさ」で、「長い髪」はその象徴。

もうひとつ、劇中で「矛盾」という言葉が登場するのが、加持についてミサトさんとリツコが語るシーン。

加持は「自己矛盾の人だった」、というセリフがあります。

加持の目的は、人類だけでなくあらゆる生命種を「方舟」に保存し、宇宙へ生命を逃がすこと。

つまり、人間という単一の種にこだわらない、「理性的」な考えの持ち主だった。

しかし、結局はサードインパクトの際、人類を生かすために加持は自らの命を犠牲にします。

それは人類への「」があったからでしょう。

理性」による「正しい」判断をしたはずなのに、結局「」で動いてしまう「自己矛盾」。

でも、マリはそんな矛盾こそが人間の証明なんだよ、とアスカに言うわけですね。

なぜ、矛盾が「人間らしさ」なのか?

理性」と「」の矛盾、というのはシンエヴァを貫くテーマの一つだと思います。

理性」を代表するのがゲンドウ。

人類補完計画によって人類を完全な生命体にし、永遠の平穏をもたらす、というゲンドウの考えは、とても合理的です。

それは神のような正しさだと言えるでしょう(実際、ゲンドウは計画を進めることで自分が神になろうとしました)。

しかし、「理性」だけですべてを解決しようとしたゲンドウは、結局最愛の妻・ユイに再会できませんでした。

人への「」を捨てては、人間は幸せになれないのでしょう。

完全な理性」を体現できるのは神だけです。

理性」を持ちながら、「」によって不合理な行動をとってしまう……

その矛盾こそ、神にはなれない人間の人間らしさなのです。

「髪」はその矛盾を象徴するもの
「髪」と「神」が対比されているようにも思えます。

では、「自己矛盾」と「人間らしさ」の象徴である「長い髪」は、シンエヴァの中でどのように描かれているのでしょうか?

キャラクターごとに見ていきましょう。

ミサトさんの「長い髪」

ミサトさんは元々めちゃくちゃ「」の人です。

『破』のラストでは、
「いきなさいシンジ君! あなた自身の願いのために!」
と「」全開の言葉を投げかけている。

しかし、これがニアサードインパクトを後押ししてしまったのではないかと、ミサトさんは責任を感じています。

リツコからも「ミサトが情動に振り回されると、ろくなことがない」と指摘されている。

責任ある艦長の立場として、「理性」で自分をコントロールする必要がある。

シンエヴァのミサトさんがバイザーで目を覆っているのは、「理性」の象徴なのでしょう。
目は人の「感情」を伝えるものですからね。

でも、結局は「」からシンジが初号機に乗ることを許可します。

加持と同じように、ミサトさんも「理性」と「」の間で揺れ動く、「自己矛盾の人」だった。

最後、一人戦艦に残って命を賭けるミサトさんは、それまで被っていた帽子を脱ぎ、「自己矛盾」の象徴である「長い髪」を露わにします。

それは、
私は情を捨てられなかった、矛盾だらけの人間だ。でもそんな自分を、私は肯定する
という意思表示だったのではないでしょうか。

アスカの「長い髪」

「強くなってエヴァに乗らなきゃ、居場所がない。ひとりでも大丈夫なくらい、強くならないと」

アスカはそんな風に、「理性」的な考えから「強さ」を求めていました。

でも、心の底で「愛情」を求めていた点はゲンドウと同じ。

彼女も、「強さ」=「理性」と「弱さ」=「」の間で揺れ動く、「自己矛盾」を抱えた人でした。

アスカの「長い髪」に対するマリの発言は、そんなアスカの心を見抜いたものだったように思えます。

その後のアスカの行動にも、彼女の「自己矛盾」が表れていました。

ヴィレが南極のネルフ基地を強襲する「ヤマト作戦」において、アスカはエヴァ2号機に乗って、13号機の起動を止めようとします。

このとき、アスカは自ら左目の眼帯を外して、体内に封印されていた使徒の力を解放するんですが……

これって、「理性」で判断するならおかしなことなんですよね。

アスカは「使徒になる自分」を恐れていたし、「自分のために生きる」というのが彼女の根本原理だったはず。

使徒化してまで使命を全うするなんて、「自己矛盾」なんです。

では、何がアスカを変えたのかというと、やはり人への「」ではないかと。

シンジやケンスケ、「守るべき存在」である第3村の人々……

「使徒化」=「人間をやめる」という行為によって、「人間らしさ」を証明するという逆説もアスカらしい。

「人間らしさ」とは体の問題じゃなく、心が決めるんだよ というメッセージのようにも感じました。

レイの「長い髪」

レイといえばショートカットがトレードマーク。

しかし、シンエヴァで初号機に乗ったシンジが、最後にレイと対面したとき、彼女は「長い髪」になっていました。

ここも、「長い髪」=「人間らしさ」の象徴、という説を裏付けているように思います。

クローン人間であるレイは、シリーズ通して「自分のアイデンティティ」に悩み続けていたキャラクターです。

でも、シンエヴァでの第3村の人々との交流から、「自分の意志で行動する」という「人間らしさ」を獲得します。

TVアニメ放映当時、「綾波レイ」というキャラクターは、人形のように自分の意志を発しないところが斬新でウケたと言われています。

時代の寵児となったヒロイン。その後のアニメや漫画におけるヒロイン像にも大きな影響を与えています。

だけど、「無口な薄幸の美少女、綾波レイ」という固定されたイメージは、「呪縛」と言うこともできるでしょう。

庵野監督にとっては、そんなイメージを広めてしまったことも「エヴァの呪縛」の1つだったのではないか。

後世に影響を与えた「社会的責任」、レイというキャラクター自体を不幸な存在として描きつづけるしかなかった苦しさ。

シンエヴァにおけるレイの「自分の意志」の獲得、そして死は、そんな「呪縛」からの「解放」と捉えることもできると思います。

シンジが最後に会ったレイは、死の後に「再生」した「新しい綾波レイ」。

だから、「ショートカット」という「過去の綾波レイのアイコン」を脱ぎ捨てた姿だったのではないでしょうか。

「人形」から、「人間らしい」存在になったレイであり、「長い髪」がそれを象徴しているのです。

マリの「長い髪」

「長い髪」について語ったマリ自身も、髪が長いです。

そして、ミサトさんやアスカと同じように、「理性」と「」の「自己矛盾」を抱えている人物だと思います。

理性」にあたる特徴としては、

・元研究者である(ゲンドウ、ユイ、冬月と同じ大学に所属していたと漫画版で明かされている)

・「メガネ」が理性の象徴

・気ままな行動をしているように見えて、シンジやアスカみたいに感情を爆発させることはない(理性でコントロールしている)

」にあたる特徴としては、

・ユイのことが好きで、ユイへの「情」から行動している

・「情動」や「動物的本能」を大切にしている…『にゃ』という口癖、人のにおいを嗅ぐクセ、エヴァの裏コード「ビースト(獣)」を駆使するなど、動物を思わせるポイントが多い

という感じです。

ただ、どちらかといえばマリは、「理性」寄りの性格なんじゃないかなと思います。

漫画版でマリとユイの関係が描かれていますが、ちょっとドジなユイに対して、マリはしっかり者

天真爛漫なユイに、マリは「好きだけど、憎らしい」という告白をしています。

自分が理性的だからこそ、動物のように情動的な人への憧れ嫉妬ある

「にゃ」っていう口癖もそうですけど、マリの「動物っぽさ」ってちょっとわざとらしさがあります。

それは、彼女が「情動的」な人に憧れて「理性的」に「演じてる」からなんじゃないかと。

人間を動物として生物学的に捉えている感じがするのも、「理性」の強さを感じます。

そんな風に客観的にものを見るマリだから、シンジについても、

「私はシンジのことが好きなんじゃなく、大好きなユイの遺伝子を継いでいるからシンジを守ろうとしているだけなんじゃないの?」

複雑な感情を持っていたんじゃないでしょうか。

マリのヒロインとしての独自性もここにあります。

レイとアスカは、基本的にはシンジ自身のことが好き

実際、シンエヴァの中で二人とも「好き」と口に出してシンジに伝えている。

でも、マリはシンジを「好き」とは言ってないんですよね。

マリのシンジに対する気持ちは、心からの「」なのか、「理性」による判断なのか……

たぶんその両方が混ざった混沌とした感情で、彼女自身にもわからないんじゃないか。

そう考えると、マリがアスカに言った

「髪は『カオス』、人間の混沌や矛盾の象徴。姫が人間である証拠だよ」

という言葉は、マリ自身に向けたものでもあったのかと。

理性が混沌とした、不完全な人間という生物。

でもそんな人間の人間らしさを愛している。 それがマリというキャラクターなのかなと思います。

漫画版におけるマリの「長い髪」

漫画版でマリがユイに「好きだけど、憎らしい」と告白したシーンでは、ユイがマリの後ろに立って、マリの「長い髪」を整えています。

シンエヴァでマリがアスカの後ろに立って、「長い髪」を整えているシーンと同じ構図なんです。

」はマリにとって、ユイと触れあった思い出、ユイへの矛盾した気持ちの象徴なのでしょう。

そう考えると、シンエヴァのあのシーンも奥深いですよね。

マリはアスカの髪を梳きながら、過去の自分をアスカに重ねていたでしょう。

そして、かつてユイがいた立ち位置に、今は自分が立っている。

マリもまた、自分が「先輩」になることで、心の成長を遂げたのかもしれません。

マリは髪を二つ結びにしていますが、それを結んだのはユイでした。

シンエヴァのラストでは「長い髪」をほどき、大人の女性になっている……これは、マリがユイへの執着から解放されたことを表しているのではないでしょうか。

マリとユイのエピソードは、漫画版の14巻に『EXTRA STAGE 夏色のエデン』として収録されています。

シンエヴァにおけるマリを理解する上では必読とも言えるエピソードなので、未読の方は読んでみてはいかがでしょうか。

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イスカリオテのマリア=マグダラのマリア+イスカリオテのユダ?

シンエヴァの中で冬月がマリのことを、「イスカリオテのマリア」と呼びます。

この発言の元ネタは聖書だと思いますが、「イスカリオテのマリア」という人物は聖書に登場しません。

出てくるのは、「イスカリオテのユダ」と「聖母マリア」そして「マグダラのマリア」です。

単純に考えると、「イスカリオテのユダ」はイエスを裏切った「裏切り者」の代名詞。

冬月からすると、元は自分たちの仲間だったのにヴィレに鞍替えしたマリは「裏切り者」、だから「イスカリオテ」。

「マリア」は「マリ」をもじってるだけ……という解釈になりますが、聖書を掘り下げるともう少し深い意味があるように思えてきます

「イスカリオテのユダ」と「マグダラのマリア」、それぞれについて見ていきましょう。

イスカリオテのユダの「自己矛盾」

ここまで、「長い髪」=「自己矛盾」が人間らしさ、というお話をしてきました。

イエスの弟子のひとりでありながら、イエスを裏切ったユダも、「自己矛盾」を孕んだ人物だったと思います。

聖書の中でユダのキャラクター描写というのはあまりされないんですが、

・お金のためにイエスを売った=「理性」による判断

・しかし、元はイエスの弟子であり、最後は裏切りを後悔して自殺している=「」もあった

ということで、ユダもシンエヴァのキャラクターたちのように、「理性」と「」の間で引き裂かれていた人物だったと推察できます。

この点で特に参考になるのが、太宰治の『駆込み訴え』という小説です。

『駆込み訴え』におけるユダ

この小説は、ユダの独白体で語られます。ユダがイエスを敵に売るときに語った内容を、太宰治が想像して小説化しているんです。

『駆込み訴え』でユダが語るのは、徹頭徹尾イエスのこと。

自分がどれほどイエスを愛していたか。どれほどイエスのために尽くしてきたか……

それなのに、イエスは他の弟子たちの前で、自分が裏切り者になるだろうと告発した。

憎んでも憎みきれない。でもやっぱり裏切りたくない……

そんな愛憎入り乱れる混沌とした感情がぶちまけられます。

僕にはそれが、「」と「理性」の戦いであるようにも思えました。

ユダは、

「自分がお金のやりくりをしてイエス一行を助けていた」

「イエスは鞭を振って宮殿から商人たちを追い出したが、暴力をふるうなんて気が触れているとしか思えなかった」

などと語っており、かなり現実的な視点を持った、「理性」の強い人物だと思います。

理性」で判断すれば、イエスには肯定できない部分も多いし、金で売ってしまったほうが自分の得になる。

でも、やっぱり愛しているし、自分のように「理性」でものを考えないイエスは「美しい人」だ。

これって、マリの感情に重なるんじゃないかと思います。

マリも理性的だけど、情で動く人間への憧れがある。

美しい心の持ち主だけど、ちょっと天然で抜けてるユイを、マリがサポートする関係性。

『駆込み訴え』のイエスユダに似てます。

庵野監督と太宰治

あるエヴァファンの方によると、庵野監督は過去に「自分は太宰治になれる」と語っていたそう。

エヴァという作品自体も、庵野監督の人生を反映した「私小説的」な作品であり、私小説作家の代表格である太宰との関連性を感じます。

庵野監督が『駆込み訴え』を読んでいたかは定かではありませんが、ユダの「自己矛盾」という性質がエヴァキャラに重なるのは確かです。

『駆込み訴え』は20ページくらいの短編ですが、文章に迫力があってとても面白いですよ。

ユダが太宰にとり憑いたんじゃないかってレベルで、太宰の中では一番好きなおすすめ作品。

U-NEXTでは、『駆込み訴え』が収録されている『走れメロス』(KADOKAWA版)も扱っています。

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マグダラのマリアも「長い髪」の持ち主だった?

さて、お次は「マグダラのマリア」について。

マグダラのマリアは、次のような人物です。

・イエスの死と再生を見届けた

・聖書の「罪深い女」と同一視されることが多い。その女は涙でイエスの足を濡らすと、自分の「長い髪」でイエスの足をぬぐった

イエス=シンジの再生の立会人

シンエヴァにおいて、シンジは自分を犠牲にして世界を救おうとします。

人類の救世主として、十字架の上で死んだイエス・キリストが、シンジに重ねられていることは間違いないでしょう。

しかし、シンジは結局死ぬことはなく、ラストで新しい世界に生まれ変わっていて、マリがシンジを迎えにきます。

イエス=シンジの再生を見届けた、マグダラのマリア=マリ。という構図があるんですね。

「長い髪」と罪、人間らしさ

もうひとつ、マグダラのマリアが「長い髪」の「罪深い女」だったことも興味深いポイントです。

シンエヴァにおいて「長い髪」=自己矛盾、人間らしさとお伝えしていますが、「人間らしさ」のひとつが「罪」なのではないかと思います。

「罪」はキリスト教の根本的なテーマで、人類が背負った原罪をイエスが浄化するまでの過程が新約聖書のストーリーです。

でも、完璧な存在である神に罪はなく、人間だけが罪を持つとするならば、罪こそ人間らしさだと言うこともできます。

ゲンドウやミサトさんのように、情があるからこそ過ちを犯してしまう

そんな人間の「不合理な情動」を愛するのが、マリというキャラクターです。

この点でも、「罪深い女」であるマグダラのマリアとマリは重なるんですね。

「妻」としてのマグダラのマリア

マリアと言うと、イエスの母である「聖母マリア」もいます。

こちらは「母性の象徴」であり、エヴァにおいてはユイやレイがその役割を担っていたと思います。

何でも受け容れて、赦してくれる存在。

ただ、優しさに満ちた母性って、人をダメにしてしまうものでもある。

ゲンドウのやってきたことや、シンエヴァ序盤の完全に心を閉ざしたシンジの態度まですべて赦してしまっては、彼ら自身も幸せになれない。

母親はある程度子供を突き放してやらないと、いつまでもひとり立ちできないんですよね。

マリが「聖母マリア」的な「母」と違うのは、その点だと思います。

マリもシンジを見守るような発言をしていたり、巨乳であることを強調している点からも、「母性」を感じさせるのは確かです。

ただ、彼女は過度にシンジに優しくしたり、甘やかしたりはしない。

「遠くから成長を見守っている」という距離感がある。

と同時に、ゲンドウのように完全に突き放してしまうのではなく、「必ず迎えにいくよ」という「情」もある。

この「適度な距離感を持った愛」は、「母」というより「」のそれに近いのではないか。

庵野監督は、妻の安野モヨコさんが新劇場版の内容に大きな影響を与えていると語っています。

庵野監督に密着したテレビ番組『プロフェッショナル』では、モヨコさんもインタビューに答えているのですが……

庵野監督について、「嫌だと言っているけど、結局つくるんでしょ」とけっこう突き放した言い方をしている。

けれど、「私だけは何があっても味方だよ」という愛もある。

これはまさに、マリとシンジの関係性だと思いました。

さらに、「マグダラのマリア」には「イエスの妻だった」という説もあるんです。

マリが最後にシンジのヒロインとなったのは、そういう理由からだったのではないかと思います。

安野モヨコさんが庵野監督との日々を描いた爆笑コミック、『監督不行届』もU-NEXTで読めます↓(画像をクリック)

『駆込み訴え』におけるマグダラのマリア

ちなみに、『駆込み訴え』にも「マグダラのマリア」は登場します。

ユダの視点では、

「イエスが彼女に恋をしたように見えた」
「あの女は自分からイエスを奪った」

という「恋敵」ポジション。

イスカリオテのユダ=「現実主義」「理性」
マグダラのマリアが「母性」「情」の象徴だとしたら、

理性的な人間が、情緒的な人間に嫉妬している」

とも言えます。

マリにも「情動」への羨望とともに、嫉妬があったかもしれません。

マリがユイに向けた「好きだけど、憎らしい」という屈折した愛情表現は、そんな心情を物語っているように思えます。

さいごに

いかがだったでしょうか。

「長い髪」一本でこれだけ語れるあたり、やはりエヴァは奥深い作品です。

このブログでは、他にもエヴァの考察記事を書いています。↓

シン・エヴァンゲリオン 最新ネタバレわかりやすく解説!庵野監督の「メッセージ」を探る。

新しい記事ができたらTwitter↓でお知らせするので、気になる人はフォローしてもらえると嬉しいです。
https://twitter.com/VTolP4EKshQ8J2V

ではまた。

↓マリ、ゲンドウ、冬月、ユイの母校である京都大学の記事

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